日々是ゆらり

ゆっくりゆらゆらたのしく

心のざわつき(6月9日)

夫の祖母の13回忌で朝から出掛ける。


そのお寺の住職さんは声が小さめで、法事の終わりにいつもいい話っぽいことを話してくれるのだが、ウィスパーボイスゆえに一度も聞き取れたことがない。

親族の間では、そういうキャラとして定着していた。

今日は聞こえるかな、と夫と笑って話していたところ、なんと住職さんは今年お亡くなりになっていた。

もうウィスパー法話は聞けない。

まだお若く見えたので、すぐには信じられなかった。

法事は2代目の息子さんがお経を上げてくださった。

息子さんの法話はよく聞き取れた。

 

法事の後、近くのファミレスで皆で食事をして帰る。

 

 

金曜から仕事のことで気がかりがあり、頭から離れずにいる。

不安をしずめるために近所の神社にお参りもした。

ひとりで悶々と考えているのがしんどくなり、こんなことがあって、と夫に話す。

ふーんと聞いてくれた。

こういう時、悪いほうへ悪いほうへ考えが向いてしまい、周りから責められてくたびれる姿ばかり妄想してしまう。

不安が生まれたときの自分の考え方のクセだ。

 

不安でいることを受け入れてとことんまで見つめるしかない。

現象とその原因がわかったら、誠意をもって対応するまでだ。

 

不安は片時も頭を離れないわけではなく、ごはんはおいしく食べられるし笑って話もできる。

たまに思い出すと気分がどん、と落ち込む。

 

落ち着いていられる時間もあるということは、きっと心の奥底で、いままでの経験値でなんとか対処できそうだとわかってるんだろう。

 

でもやっぱり気がかりは気がかりのようで、夢にも出てきてしまった。

明日仕事に行くのがゆううつ。

 

どうか平和でありますように。